僕が愛する押井守-本広克行

映画「イノセンス」公開直前インタビュー
映画「イノセンス」公式サイト より
(インタビュー時期:2004年上旬頃)

押井作品との第一遭遇

 押井さんについて語るのはとても難しい。
 どの作品に影響を受けたとか、どんなところが好きなのかと問われても、押井さんの作品は時代時代で圧倒的にクオリティが違うし、でもすべてに他の作品には代え難い魅力があり、僕はそのすべてをこよなく愛しすぎているからだ。
 ひとまず僕の押井作品との出逢いから話すと、僕が初めて遭遇した押井作品は高校一年のときに映画館で観た『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』だった。

 押井ファンならTV版から観ていてしかるべきなのだろうけれど、僕が住んでいた香川県というのはその昔フジテレビ系列の放送が映らなかったのだ。
 でも、金持ちのオタク連中は自宅のTVアンテナに(フジテレビ系列の電波をキャッチするための)ブースターをつけてまで『うる星やつら』を観ていて、そんなブルジョアなオタク連中が「『うる星やつら』って面白いよなあ」と盛りあがっていたのが、なんとなく羨ましくもあった記憶がある。
 ただ、正直に告白してしまえば、当時の僕には、ラムちゃんの弾けた存在がやや刺激的過ぎて、それほど積極的に観たいと思えるアニメではなかった。
 そういうわけで、ブルジョアではなかった僕が最初に遭遇したのは映画館での『ビューティフル・ドリーマー』になるわけだが、再び正直に告白してしまえば、僕はそのとき『ビューティフル・ドリーマー』を観に行ったわけではなく、大森一樹監督の『すかんぴんウォーク』を観に行ったのだ。そこに偶然同時上映でついてきたオマケが『ビューティフル・ドリーマー』というわけだった。
 最初は「金がもったいないし同時上映だから見ようかな」という程度だったのだが、そのファーストコンタクトで僕は完璧にノックアウトされてしまった。
 上映終了後、僕の中には「押井守」という監督の存在がトラウマの如く刻印され、ちょうどその直後にOVAの『ダロス』が出始めて、それにもまた衝撃を受け、気がつくと見事なまでの押井さんの?追っかけ?と化していたのだ。

生身の押井守との遭遇

 そんなわけだから、僕が実写映画の監督になろうと映画学校に通い始めたときには、押井さんの影響はもう巨大なものとしてあった。
 高校卒業後、僕は今村昌平さんが校長をやっていた横浜放送映画専門学校(現在の日本映画学校)に通い始めたのだが、その時期、神様の思し召しか、ついに本物の押井さんと遭遇する機会が訪れた。
 押井さんが当時制作したばかりの『天使のたまご』を持って、特別講師に来てくれたのだ。僕はその日は押井さんが来るというだけで、女の子と初めてデートをする日みたいに、朝からそわそわして落ち着かなかった。
 その嬉しさもあり余って、そのシンポジウムの席上で、僕は大暴走し、ものすごく攻撃的に押井さんにつっかかっていったのを今でもハッキリと覚えている。そのとき初めて見せられた『天使のたまご』という作品が、僕にはまったく理解できなかったのだ。そういう悔しさみたいなものが相乗して、「押井さん、あの魚の影はどういう意味があるんですか!」と学生の分際の僕が声を張りあげて質問すると、押井さんは「あれはね、日常を表現しているんだよ」と優しく諭し、だが、僕は「わからないと思います!」とガンガン攻撃しまくっていた。若気の至りというヤツだ。
 で、僕がTV番組の演出家の端くれになってから、改めて『天使のたまご』を見直して愕然とした。その「魚の影」が紛れもなく日常を表現していたのがわかってしまったからだ。
 なにがどんなふうにわかったのか、というのは言葉にするのは難しいが、僕の足りない言葉で言うなら『目に見えているものだけが、すべてではない』ということだと思う。とにかく、僕はそのときになってようやく押井さんが言っていたことを理解して、ついでに当時の嬉々として攻撃していた自分の姿をまざまざと思い出し、なんて恥ずかしいことをしてしまったのか、と首でもくくりたい気分になった。
 僕が『踊る大捜査線 THE MOVIE』を作り終えたあとで、押井さんと対談する機会があったとき、十数年越しにようやくその懺悔を果たすと、押井さんは大笑いしていた。

押井守作品のカットの意味を討論する日々

 当時の僕の仲間内では黒澤明やタルコフスキーについて議論するよりも、押井さんのアニメ作品のカットの意味について議論するほうが多かったように思う。 『天使のたまご』の魚の影もそうだが、押井さんの作品の特徴として、よくわからないシーンをわざと入れる。これが嫌らしいくらいにサクッと観ている側の心の隙間に飛び込んできて、心に焼きつけられてしまうのだ。
 たとえば、よく議論したのが『ビューティフル・ドリーマー』の劇中でしのぶが風鈴の屋台の中に呑み込まれて消えていく幻想的なシーン。あのカットは窓越しに男の人が見ている絵として描かれているのだが、肝心の男の正体がどうしてもわからない。仲間内でもさまざまな仮説が乱れ飛んだ。
「あれは面堂なのかな?」
「いやあたるだろ」
「やっぱり、神隠しの表現とかなのかなあ……」
「じゃ、もう一度観に行こうぜ!」
 という感じで、押井作品を何度も観ていた。
 実写映画の学校に通いながら『うる星やつら』のカットの意味について論議を交わしていたのだから、今思うとなんだか少し不思議だ。
 でも逆にアニメだからこそ、そこに描かれた絵には必ず押井さんの意図があるはずで、押井作品はそんなふうに、映画学生だった僕らが討論するネタとしても格好の作品だったのだ。
 とはいえ、僕がテレビのディレクターをやるようになってからは、そういうわからない絵を入れるのはやめろと現場の人間に言いつづけていた。テレビの場合はわからない絵を入れたらチャンネルを変えられてしまうだけだから、そういう押井さんの作風に憧れながらも、現実の仕事では一切排除していたのだ。
 そして、映画を撮れるようになってからようやく、そういうちょっと考えさせるカット、見終わった後に観客同士がその解釈をめぐって話ができるような仕掛けを狙ってみたりするようになった。だが、ここでもまた押井さんの演出技術の高さを思い知らされることになった。
 なんとなくならマネはできるのだけれど、あとから観た人間に訊いても、こちらが意図した絵をみんながちゃんと覚えていてくれないのだ。もっと人の心の隙間にサクッと入ってくる絵を作らなければ意味がないのだが、そのツボはいまだにつかみ切れていない。本当に凄い感覚と技術だと思う。

映像作家としての憧れ

 そんなふうに、同じ映像制作に関わる者にとって、押井さんの作品には、本当に些細な、これをマネしてみたいと思ってしまう映像のインパクトがふんだんにある。
 たとえば--また『ビューティフル・ドリーマー』の話になってしまうが--サクラ先生に温泉マークが「自分たちが同じ1日を繰り返しているだけではないか」と悩みを打ち明けるシーンがある。その会話はカメラを360度ゆっくりターンしながら撮られていて、不思議な場面になっている。それだけでも「なんかマネしてみてえ!」と無条件に思ってしまう。
 他にも押井さんの絵の特徴として、窓がいつも幻想的な強い光に発光しているのだけれど、僕は押井さんのアニメをテレビや実写映画の美術スタッフに持っていって「こういうのがやりたいんだ」と言ったことも何度もある。でも、あの雰囲気は、実写では光量が絶対的に足りなくて実現できないのだ。
 押井作品はアニメの中では極めて実写的だという指摘をよく耳にするが、だから、それは大きな間違いだ。
 現実に実写を撮っている人間として言わせてもらえば、あの映像はそんな生やさしいものではない。押井さんの映像を実写で実現しようとしたら、『マトリックス』でウォシャウスキー兄弟がやったような高度なデジタル合成でも使わなければ実現できないと思う。撮れそうで撮れない映像。手に届きそうで届かない憧れの映像なのだ。なにより『ビューティフル・ドリーマー』のラストのほうで、夢邪気があたるをさまざまな夢幻の世界に閉じこめて、屋台をどんどん崩していくところなんて、憧れ以外のなにものでもない。僕はあの屋台崩しをいつか自分の作品でもやる、と心に決めている。
 学生時代の思い出ついでにもうひとつ告白してしまうと、実は僕は『紅い眼鏡』の最初の台本を持っている。映画学校にいたころ、押井さんは制作費を節約するために、学生を使って新百合ヶ丘で撮影をやっていて、僕の先輩が押井組に入っていたのだ。その先輩が「おまえ押井守好きなんだろ、これやるよ」って。すごく薄くて装丁もチープでびっくりしたけれど、僕の大切な押井コレクションのひとつだ。

『踊る大捜査線』への影響

 というわけで、そろそろ僕が押井さんについて語るのは難しいと言った意味が少しはおわかりいただけたかと思う。押井さんの存在は僕の演出家人生のあらゆる場所に影を落としていて、それを子細に語ろうとすればするほど、話が拡散して収拾がつかなくなってしまうのだ。
 僕はときどき、僕がやってることは押井さんがやったことを実写で追っかけてるだけなんじゃないか、と本気で思うときがあるほどだ。押井ファンにはよくその影響の大きさを指摘されるけれど、それは誰よりも僕自身が認めざるを得ないところで、だからといってそれを取り立てて恥ずかしいことだとも思わない。僕が意識するかしないかに関わらず、押井さんの影は、ふと気がつくといつも僕の前にあるのだ。
 TVで『踊る大捜査線』の制作を開始したときも、初めて台本をもらって読んでいるときに「なんかに似てるなあ」と思っていた。ずっと「なにに似てるんだろう?」と考えていて、湾岸署、海の近くの警察署……ときて、あれ? これって『パトレイバー』じゃん、と気づいた。
 だから、その後は『踊る大捜査線』の湾岸署のイメージは、僕の中ではすっかり『パトレイバー』の特車二課となっていた。湾岸署の舞台を決めるロケハンでもスタッフに劇場版『パトレイバー』のビデオを見せて「このイメージだから、こんな場所を探してくれ」とお願いしたくらいだ。
 結局、当時は残念ながら特車二課にそっくりな場所はなかったので、お台場のあの場所に落ち着いたのだが、最近お台場の先のほうに、特車二課そっくりの建物を発見して愕然とした。海が見える巨大な埋立地で、上空を飛行機がぶんぶん飛び回るし、海へ沈んでいく大きな夕陽も見える。あのとき、ここを発見していたら、と本気で悔しがったものだった。
『踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』の制作でも、シリーズものの第二作を作るに当たって、押井さんの『機動警察パトレイバー2 the Movie』を何度も見返した。シリーズものの第二作というのはいろいろな意味で難しく、押井さんがどんなところで苦心されたのか学びたいと思ったのだ。 そして、押井さんは『機動警察パトレイバー2 the Movie』で横浜ベイブリッジを爆破したのに、我々は封鎖するだけでいいのか! とか勝手にスタッフと盛り上がったりしていた。

なぜ、押井守なのか?

 でも、なぜ、押井守なのか? 僕は実写映画の監督ではあるけれど、実写作品よりアニメ作品から受けた影響のほうが大きいのではないか、と自分でも思う。
 当然宮崎(駿)さんは尊敬しているし、作品も毎回観ている。でも、僕が本気で影響を受けたのはやっぱり押井守なのだ。押井さんという存在は僕の中でそれほど特殊な位置を占めている。
 僕の眼から見ると、他のアニメやドラマは、ぜんぶなにかのコピーに見えてしまう。でも、押井さんのはオリジナルなのだ。押井守とピクサーはそういう意味で似ていて、あのスタジオの人達もオリジナルを作ろうとしてあがいている。押井さんが凄いのはそれを一人でやっていて、そのビジョンがぜんぶ頭のなかにあるところだ。だから、ときどき行き過ぎているものもある。特に実写には誰もついていけなくなってしまう。 もちろん、押井さんは押井さんで、さまざまな映画体験から(たとえば寺山修司とか鈴木清順の作品から)インスパイアされているのだとは思うのだけれど、僕には押井さんの作品は押井守オリジナルにしか見えないのだ。映画体験の量も僕とはまるで比較にならないし、陳腐な言葉になってしまうが、天才としか言いようがない。 あえて宮崎さんとの比較で言うなら、宮崎さんは『ラピュタ』以降は本気でマスとしての観客に観せるために作品を作り始めたという印象がある。そこには鈴木敏夫さんのプロデュースの力もあったと思う。それはエンターテイメントを供給する人間にとっての王道で、その場所で現実にマスとしての観客を獲得してしまったことは、僕が言うまでもなくとんでもないことだ。
 でも、僕が押井さんに惹かれるのは、もっとわがままに自分の世界を貫き通しているスタンスにある。それはもしかしたら、同時代に宮崎さんという存在があったからこそ、貫き通せたスタンスなのかもしれないが、どちらにしても、あれほど自分の世界を貫き通せる監督は今の映画界を見渡しても日本にはいないんじゃないかと思う。そして、そのスタンスを維持しながら、さまざまなクリエイターに影響を与え、自分の観客を獲得しているところが最も凄い。
 映画制作者は当たり前だが、作品が当たらなかったら抹殺という世界だ。だから普通なら、当てるために自分を曲げなければならない場面が膨大にある。ところが押井さんは自分の世界を貫きながら、自分が生き残れるだけのコア客を獲得してしまったのだ。そして、なにより、それを自分でもしっかり理解しているところがずるい。「僕のはね、あんまり媚びなくても、みんな逆に媚びるとそっぽ向くからさ」と本人の口から聞いたとき、羨ましいなあ、と本気で思った。

社会の行く先を見抜く預言者的視線

 もうひとつ押井さんの作品を観ていて驚かされるのは社会の動向を見抜く早さだ。『パトレイバー劇場版』(第1作)の頃にすでにMOというメディアが出てくるが、あの映画が公開された八九年当時はまだMOは市販されていなかったんじゃないかと僕は記憶している。コンピュータウィルス犯罪にしてもそうだし、選ぶ題材やモチーフがとにかく早い。そして、その取り入れ方がまた絶妙にうまい。
『パトレイバー劇場版』で、コンピュータウィルスが暴走するのに風速四〇メートル以上の台風が引き金になるという場面があって、そのシミュレーションパターンがパソコンのモニターにいくつもの輪になって広がっていく。あれを観て以来、僕は現実の台風情報を見ていても、風速三二メートルとか言われると「ああ、なんだパトレイバーより小さいんだ」って思ってしまう。知らぬ間に刷り込まれて、僕の中での台風の基準値になってしまったのだ。
『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』で描いた世界観もそうだし、押井さんの名前は結局、売れてる売れてないといった次元では計れないところが凄いのだと思う。影響力で言えばいまや世界規模で、『マトリックス』だって押井さんがいなければこの世に誕生していなかったのは間違いないわけだし、僕が知っているテレビドラマの世界でも押井作品の影響を受けた人は本当にたくさんいる(たとえば木村拓哉主演の『ロングバーケーション』の第五話か六話でコンビニの側を車で走るシーンは、『ビューティフル・ドリーマー』で面堂がマネキンを乗せた車とすれ違うシーンにそっくりだという噂があった)。
 昨年末に『踊る大捜査線 THE MOVIE2』の海外版の制作で、米国のスカイウォーカースタジオで音を入れ直したときも、僕の作品を担当してくれたディレクターが『Avalon』のサウンドを担当した人で、押井さんの話ですっかり盛り上がってしまった。
 彼はいつもドッグTシャツを着てたと……。

ずっと追いかけ続けていたい人

 実写映画に携わる人間として、こんなことを言ってはいけないのかもしれないが、ここ十年の映画では、実写よりもアニメのほうが作品のレベルは圧倒的に高いと思う。今のアニメーターの方たちの絵を見ると本当にびっくりしてしまう。こんな絵の発想があるんだって。
 ただ、僕は最近思うのだけれど、押井さんのアニメは『アニメ』という言葉でずいぶん損をしているような気がする。アニメという言葉でくくられると、日曜日の朝にやっている純粋な子供達向けの作品もアニメだし、でも、押井さんが作っている作品はその枠組みの中にはまるで当てはまらない。少なくとも僕は、そういう意味で押井さんの作品を「アニメ」という言葉でひとくくりにする気にはなれない。そろそろ違う呼び方をしてもいいんじゃないかと本気で思うくらいだ。
 そんなふうに、僕にとって押井さんという監督は道標というとヘンだけれど、なにか作品を作り始めて、ふと気がつくといつもそこにいて、ずっと追いかけ続けていたい人なのだ。
 実写では黒澤明か小津安二郎くらいで、現存する監督には、もうそういう強烈な個性を持った監督はいない。
 その呪縛というかトラウマともいえる強烈な押井守圏から鮮やかに脱出してみせることこそが、僕の永遠のテーマともいえるのかもしれない。

 追記。 実は僕には密かな野望がある。『パトレイバー』の実写版をやりたいのです。でも、やったら、とんでもないことになるのは目に見えている。僕にとって『パトレイバー』は憧れの場所であると同時に、禁断の領域としてある。だいぶ前に押井さんと話したときに「やってみなよ」と言ってくれて盛り上がった瞬間があったのだけれど、押井さんは覚えてくれているでしょうか? 僕がおそれ多くも脚本をお願いしたいなとか口走ったときにも「いいよいいよ、いつでも言って」と別れ際に気さくに言ってくれたことがあるのですが、あれも覚えてますか? 現実にそんな日が来たら、本当に楽しいな、と思っています。

(映画監督 もとひろ・かつゆき)

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